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最近焦って読んでしまう。 読みたい本がいっぱいあるから。 でも読むのが遅い・・・ジレンマ。

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『奪還―引き裂かれた二十四年 』蓮池 透

 
世の中には、腹が立つこと、苛立たしく思う事、
いっぱいあるけど、自分が生きている、日本に対して、
「この国に生きていたくない」と思う事は、ナショナリストのアタシとしては、 そこまで思う事はなかった。 「どうしようも無いな」と思う事はあれど。 蓮池透さんのこの本を読むと、
基本的人権の尊重が聞いて呆れる場面に、数え切れないくらい出くわしたのだなぁ、
と想像する事しか出来ない。
薫さんら、5人とその家族が還って来たとしても、未だ、全く、解決を見ない、
許されざる事件だと思う。

かと言って、これまで、あたしが何か、「した」事はない。
誰も、何も「して」ない。

透さんの言葉では、
「たまたま、北朝鮮の切り札と、日本の利害関係が一致したタイミングが合った」だけ。
ほんとに、それだけの希少なタイミングが合致し、5人の方々は還る事が出来たのだなぁ。
「引き裂かれた24年」以上になったかもしれないし、
「引き裂かれて●●年継続中」の事件なのだな。
「自分の家族、親戚、友人、が拉致されたら・・・」と日本人の誰もが、親身になっていなかった(今も、なっていない)。
今、あたしに何が出来るのだろう?
やはり、「知ろうとする気持ち」しかないと思った。
実際に、同じ痛みを伴う事は出来ないから。
風化しつつある、この事件を忘れちゃいけないし、知らないといけないと思った。
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『寂聴 あおぞら説法Ⅱ』 瀬戸内 寂聴

 
年間200冊読まれる御仁からブッククロッシングで送っていただいた「Ⅰ」を友人へ回した。

友人の心にもとても深く響いたのだと思う。
「Ⅱ」を購入したと言う事で、貸してもらった。


あたしって、どんだけ幸せなんだろう。
あたしって、どんだけラッキーなんだろう。

感謝したい気持ちが溢れた。

寂聴氏は、日本でイチバン有名なお坊さんかもしれないよね。
だから、多くの相談のお手紙等が届くのでしょう。

寂聴氏が出逢われた方々の境遇が、ホントにつらくて、
読んでいるだけでこみ上げて来る。

あたしは電車の中で本を読むので、ここは、花粉症のフリをして、鼻をかもう。
ブビ~~ン。

寂聴氏の「教育が大事」ということに興味が湧く。
わたしも教育は大事だと思っていた。

でもそれは、「お勉強」と言う面での教育だったかもな、とも思う。
白洲次郎氏の本に
「金持ちは教育を金で買える」
というくだりがあり、言葉そのままに受け止めてしまった。

その言葉を自分の中で消化する際に、いささかの不手際があった。
「金さえあれば、教育を買える」としてしまったように思う。

白洲次郎氏が言いたかったのもそうではないのだなと思える。

「教育」とは、すなわち「智慧」である。

般若心経も読んだのに、「智慧」に結びついていない所に、
自分の浅はかさを感じた。

般若心経は、智慧を得るための教えのようなものなになぁ
己の智慧の無さに情けなくなる。


わたしはヨガをやっており、断食をやってみたいな、と感じる周期が時々やって来る。
でもそれは、「断食をした事によって何かが見えるかもしれない」期待という煩悩によるところがものすごく大きい事に気付いた。

そんな気持ちで断食をしても、そこそこ若いあたしにでも、
やりおおせるかもしれないが、ただそれだけのこと。

きっと何も変わらない。

逆に、「ぁ~あたしも断食したことありますよ~」
などと、天狗になっちゃうだろう。

「断食をする資格」にも満たしてないなぁ、と感じ、
ボランティアだなんて、大それたことではなく、身近にいる年配の方と、
お話する事から始めてみようかな、と思います。

『いのちの食べかた』 森 達也


「魚市場はテレビに映るのに、食肉市場はなぜテレビに映らないのだろう?」
という疑問から入って行く。

このシリーズ本が中学生以上向けということで、
とても解かりやすく書かれている。
でもちょっと、森氏の語り口調が、子供扱いし過ぎてるキライがある。

そして、「部落問題」「戦争」が着地点になっている。

「部落問題」を知りたいと思い、この本を手に取ったので、
日本が肉を食べるようになった歴史から、
日本に根付いていた「すべての物にいのちが宿るというアニミズム」の考え方と
仏教伝来時に「動物の殺生を禁じる教え」などによるところから「部落問題」が始まっているような事が解かり、参考になった。

「部落問題」を簡単に説明出来ないのは、ものすごく長い年月をかけて、
日本人の心の中に定着していった考え方、感じ方、あうんの呼吸のような、
「なんとなくイヤだ」という、明確に出来ない感情に因るところなのだな。

ものすごく考えさせられたし、為になった。
でも、ちょっと、題名と内容にギャップがあるね。
わたしは、部落問題を知りたかったから、参考になる本と思うが、
タイトルから入ってきた人は、アレ?と思うかもしれない。

そして、最も共感できない一言があり、ひっかかる。
「ベジタリアンにでもなるしかない」
という言葉。

植物達にも「いのち」があるという事は、思い出さなかったのかな?
これにはいささか疑問が残った。

「知る事」「考える事」「想像する事」「悩む事」を忘れないように。
という、メッセージが一冊を通した、森氏の言いたかった事かな、と思う。

そういう事は、時々、誰かに言ってもらわないと、ホント、忘れてしまう事なので、
だらけた、麻痺したココロに、渇!を入れてくれる、とても良い本でした。

『学校では教えない古典』 吉野 敬介


いや~ホントに!
学校では教えられない部分にこそ、古典の面白さがあるのよね!

現代語で書かれてたら、も~失楽園(古い?)どころの騒ぎじゃないよね。
っていうくらいのスキャンダラスだったり。

幾つかの項目に分けて、あらゆる古典文学のオイシイところをピックアップして集めてあるので、まー面白い。

題名は知っていた作品も、「こんなお話だったの!?」
と驚かされ、ひー!アレもコレも読んでみたい!

ここで紹介されている作品の中で「とはずがたり」、「源氏物語」しか読んだ事がないのだが、
改めて読み返しても、あー♪この二作品も面白いな、読み返したいな、と思える。

吉野氏が解説しながら、ツッコミをいれるのだが、それもまた的を得ていて笑えるし。
他の作品も、どーしようもなく下世話だったりして、めちゃくちゃ面白い。読んでみたい作品がまた増えてしまった♪

『わたしの蜻蛉日記』 瀬戸内 寂聴

あたくしの場合、たいがい、偏狭・偏愛が過ぎる。
古典といえば、「枕草子」「源氏物語」に偏りすぎていて、
蜻蛉日記は読んだ事が無かった!

そんなあたくしにピッタリの、読み解く道しるべを示してくれる一冊。

恥ずかしながら、「源氏物語」が書かれる30年も前に書かれた日記だったのですね。
知りませんでした。

作者・藤原道綱母といふ人、とっても生々しい。
オンナのもっすごい嫌な部分も包み隠さず
(ソレを反省するココロが無い、と寂聴は言ふ)
つづる。

ぁーーー!もーーーぅ!
何で、ソコで、ソレ、言っちゃうかなーー!

1000年も前に生きた女に、ダメ出ししたくなる。

それは、取りも直さず、今の時代の自分に置き換わるから、イラッとするのである。

ものすごく共感で来ちゃうっつーコトは、人の感情とかいうものは、
「進化」ってないのだな。

人を妬んだり、羨んだり、憎んだり。
1000年前の女も、2010年に生きる女も同じコトを感じるのよね。


解説がとても多いので、寂聴の考えや研究結果に、左右されやすい。
今度は、現代語訳で自分の感じるままに読んでみたい。

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