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最近焦って読んでしまう。 読みたい本がいっぱいあるから。 でも読むのが遅い・・・ジレンマ。
『えてこでもわかる 般若心経』 笑い飯 哲夫訳
般若心経って、カッコエエな~、というのが最初に感じた感想。
全文の音の響きも好きなのだが、内容がわかり、更にカッコイイと感じた。
笑い飯の哲夫が、わかりやすい言葉で、下世話な例えで、解説してくれます。
まずは般若心経を知りたいという気持ちをくじかない、門扉を開いてくれる一冊になりました。
しかしながら、読めば読むほど、生きる意味とは何だろう?
という疑問が湧いて来た。
これに答えなどないのだろうが、わたしは道元禅師のお言葉が好きである。
~道元禅師のお言葉~
人生に意味なし
ただ生きるのみ
という言葉は、般若心経を一言でまとめてくれたような、めっさタイトな素晴らしい言葉だとわかってきた。
ぎゃてい ぎゃてい はーらーぎゃーてい
なんて部分は、その音の珍しさから、記憶に刻まれていたのだが、
観自在菩薩からの応援みたいな部分らしい。
哲夫的には、
がんばって、がんばって、よくがんばって、悟れよ、幸あれ。
と訳していました。
以上が般若心経の教えである。
と締めくくられる。
カッコイイな~。
今やってみたい事ランキングでは、
「写経」がイキナリのトップワンを獲得した。
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『 半島へ、ふたたび』 蓮池 薫
何から書いてよいのか分からないほど、色々な事を考えた一冊であった。
蓮池さんは、翻訳のお仕事をされているそうだが、
紀行文というのは初めて、だそうだ。
更には、ソウル取材旅行が、初めての海外旅行だそうだ。
しかしながら、韓国と北朝鮮を対比させながらの文化の違いや、
根底に流れる物が同じであるという、事など、
観てきたものを、より深く追求し、自分なりの想像力などを加えながら、
書かれており、とても勉強になったし、着眼点もおもしろく、柔軟な心と考えの持ち主なのだな、と、深く感動した。
拉致された日の事、北朝鮮での生活の事も書かれており、
「一切の自由を奪われたあの生活に、二度と戻りたくない」
サラリとおっしゃっていた。
その発言が北へ漏れて、蓮池さんの立場が悪くなるような事がないのだろうか?
とても心配になった。
それさえも怖れずに発言すると言う事は、
私達にどうしても伝えたいからなんだろうな、
考えれば、考えるほど、想像を絶した。
24年間もの気が遠くなるような時間を奪われると言う事を、
ワタシは想像する事が出来ない。
何時終わるのか、終わりさえあるのか、それさえ分からない24年間。
あとがきより
空想の世界ですら描く事のなかった日本への帰国が実現したときから、
僕たちはいつでも会いたいときに肉親や友人に会える喜び、
いつでも行きたいところに行ける幸せ、
いつでもやりたいことをやれる楽しみを思いっきり享受しながら暮らしている。
普段、感謝する気持ちを忘れないように、とか、良く耳にする言葉だし、
私自身、心がけよう、と、発言してきた。
でも、ホントは、いつも、忘れているし、心がけてもいない。
ふと、思い出しては、心を入れ替えようと、決意だけ持ち、
そしてすぐ忘れる。
その繰り返しだ。
時間は無限にあるように、ボーっと過ごしているし、
いつまでも親はゲンキに生きていると、どこかで思っている。
チャンスが巡ってきても、面倒くさいと、先延ばしにし、
やってみたい事がいっぱいあるの!と言いながら、サボる事は忘れない。
ホントウに、全ての事が有り難く、感謝でいっぱいだと、心底解かっていたら、
YouTubeを無駄に観たりする時間など無いハズだ。
感謝する意味のホントのところは、解かっていない。
そう解かっただけでも、前進した、と自身を慰めつつ、
まずは、部屋の掃除をキチンとして、旦那が気持ちよく帰宅できる家をキープするよう、がんばろう。
何年も前から年頭の目標に掲げながら、出来なかった事を、やります。ハイ。
『白洲次郎・正子 珠玉の言葉』 北 康利
装丁がとても美しい。
正子さんの帯であるそう。
とにかく、お二人の言葉がぎっしりと書かれている。
ゲーテやニーチェじゃないし、珠玉の言葉を言おうと思って言ってないので、
ひとことで、一字千金とはいかない。
「ん?」
と言う言葉も多い。
やはり、その言葉を放った、背景や気持ちが解からないと、
その真意が読めないわけです。
正子さんの言葉で、
『 金は儲けるより、使うほうがむつかしい 』
というのがあったが、これは、それの典型で、
言葉そのままに受け止めてしまわれかねない。
「岩に立つ」の棟梁に向かって、その言葉を言えるか?
と、思ってしまう。
食うに困ったことがない人に言われると、「何も解かってないわね」と思えてしまう。
その言葉の背景を補足をしてもらわないと、
正子さん自身の評価に影響する気がする。
正子さんの言葉で素晴らしかったのが、
『 他人は鏡です 』
『 明日は来ないかもしれない。そう思って生きてるの。
あんたもそうするといいよ。緊張して生きるようになるから 』
というもの。
ほんとにその通りだな、と思うし、
正子さん自身がいつもそれを忘れないようにしていたのだな、
というのが、すごいな、と思う。
つい、忘れちゃうよね、普通は。
次郎さんの言葉で意外だったのが・・・
『 (正子さんのことを評して)
うちの婆さんは偉いよ 』
というもの。
家庭の夕食の席で、
「ネクタイを締めていなくてごめんなさい」
と正子婦人に謝った、エピソードが「白洲次郎的」で紹介されていたのだが、
そんな、英国紳士なフェミニストな御方が、妻を、
「婆さん」と呼んだ事。
欧米では、間違っても、自分のワイフを「愚妻」なんて言わないお国柄なのに。
こういうトコロは、日本男子っぽいテレなのかな?
最近、ちょっと、白洲次郎づいてたので、しばらく離れてみようかな、と思う。
『岩に立つ』 三浦綾子
誰彼かまわずオススメしたい一冊。
副題は「とある棟梁の半生記」である。
三浦綾子氏のおうちを建ててくれた棟梁のお話で、三浦氏が、
『男の中の男』
と、尊敬してやまない人物であるようだ。
この本に出会ったきっかけは、先日読んだ「白洲次郎的」で紹介されていたからである。
白洲次郎とほぼ同じ頃の生まれで、明治・大正・昭和を生きた
ものすごく骨太な御方でありました。
人間としての根本が白洲次郎にとても良く似ていた。
ただ違っていたのは、その根本をどこから学んだか、という点ではないかと思う。
方や、ケンブリッジで出会った伯爵の称号を持つ友人から。
方や、着物を一枚しか持っていなかった、半ドカタをしながら育ててくれた母の背中をみながら。
病気・事故で、二人の父親を亡くした棟梁。
三人目の父親が働かず、貧しい生活はずっと続く。
軍の食べ残した、残飯を売る業者があり、その残飯を買っていた。
という程の貧乏だったそう。
しかしながら、懸命に働く母の姿を見ながら育ち、いつか母に、着物のひとつも買ってやりたいと思う。孝行な息子。泣けてくる。
この棟梁のすごいトコロは、
「権力をカサに着て、弱い立場の者を押さえつける様なヤツにはとことん歯向かって行く。」
そんなところがとても白洲次郎と似ているな、と感じた。
その相手が、
マッカーサー元帥です。
より、
町で、威張り散らしているヤクザです。
出征中の、位が上の高官です。
の方に、「かっちょえ~」と言う言葉が心から出て来てしまう。
マッカーサーに言った。
吉田茂に進言した。
となると、もう、ほとんど、歴史を読むような感じになってしまうから、臨場感が無いのかもしれない。
この棟梁を知ってしまうと、白洲次郎が少々かすんでしまうくらい、「男の中の男」なのである。
そして、ハタ、と気になった事。
白洲次郎とこの棟梁。ほぼ同じ頃の生まれ。
棟梁は、徴兵され、軍隊に入る。
後に、召集令状が来て、中国へ出征する。
なのに、白洲次郎は、軍隊にも入っていないし、召集もされない。
「戦争になったら、食料が不足する。」と先を見て、土地を買い、農業に従事する。
農民は、召集を免除される、なんて事を聞いたことがあったが、
白洲次郎は戦争には反対だった。だから、「百姓」になった?
という事になると、少々、白洲次郎への見方が変わってしまうぞ。
庶民には、そんな選択肢は無いのだから。
ついつい、こちらの棟梁の方に、思い入れが強くなってしまうのは、
やはり、自分が庶民だから。
自分の、祖父・祖母に照らせてしまうからである。
明治には、スゴイ男がいた。
この本も、バイボーにしたい一冊である。
『白洲次郎的』 勢古浩爾
面白い。
白洲次郎の言葉・行動・身近な人からの彼を評する言葉などを通して、
白洲次郎の根底にある原則を紐解く。
主人公は白洲次郎のようだが、実は、作者本人のような内容である。
結局誰も「白洲次郎」ではないのだから、
「白洲次郎的」に生きられるようにするには?
を辛辣に自分の言葉で述べている所が、好感が持てる。
かといって、白洲次郎の全てが素晴らしい、と褒め称えるわけではなく、
冷静に一歩ひいて、白洲次郎が生きた時代と現代とも照らし合わせながら、
客観的に見ていて、良い。
作者の言葉のチョイスが面白いし、乗りに乗って筆が進んでいる時、
ふっと、「ハッ!自分も相当な俗物だ!戒めなければ」
と、思い立てば、「自分にも言っておく、この俗物が!」
と、突然、自分を叱責したり、この作者もまた、面白い。
白洲次郎の言葉(本文より)
「一番嫌いな人間のタイプは?」
「ウソをつく奴」
だそうで、これを大手を振って言える事がスゴイよな。
って事は、ウソをついた事がないという事なわけで。
「ウソをつく必要がない。」
と述べられていた。稀有な御方だ。
作者の見解
「隠すべき過去がない。隠すべき現在がない。隠すべき未来も無い。
(中略)
守るべき自分がない。糊塗すべき自分がない。粉飾すべき自分もない
のである。」
ぅわーー!
そんな人って、お釈迦様くらいしかいないのではないかと思ったが、
いらっしゃるんですね。
もう、わたくしごときなぞ、粉飾・糊塗・保身だらけですわ。
「強気をくじき、弱きを助け」を地で行くような御方だったようで、
目下の者、女・子供には滅法優しかったそう。
白洲次郎の痛快なエピソードも沢山知ることが出来る一冊で、
何を成したか、に関係なく、人として尊敬出来、倣いたい気持ちになる。
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